「救えていたら何かが変わったのだろうか?」
あの日の記憶から生き延びるために。
父の形見である小さな書店を妻のラウラと二人三脚で切り盛りしてきたシモンだが、時代の波には逆らえず、店をたたむ決意をする。ラウラは大手のチェーン店に身売りをしてはどうかと提案するが、家族の名前を売ってしまうようで、シモンは気乗りがしない。店の閉店準備をしていたある日、シモンは森の中にある倉庫から車で本を運び出す途中、中年女性の自殺現場に遭遇する。その衝撃的な出来事が、長らくシモンが封印していた記憶の扉を開くことになる――。
母国オランダはもちろん、欧米のさまざまな国で絶賛される女性作家エメー・デ・ヨングの本邦初訳。彼女の評価を決定づけたグラフィックノベル第1 作。人間の弱さに対する透徹した眼差しと慈しみが交錯する静かな傑作。
オランダのテレビ局でドラマ化されるなど反響の大きかった作品。出版翌年の2015年にベルギーの歴史あるマンガ賞サン=ミシェル賞(Prix Saint-Michel)で、最優秀オランダ語圏作品賞を受賞している。

リアリスティックで緊張感のある白黒の画で描かれた作品。説得力のある語りのリズムと相まって、読者を主人公シモンの内面世界に入り込ませる。
『ハチクマが還るところ』タイトルの由来について
本書のタイトルにもなっている「ハチクマ」についても少しご紹介しておきたいと思います。ハチクマは渡り鳥で、主にハチを餌にすることからその名前がつきました。夏はヨーロッパで過ごし、冬になるとアフリカへ渡ります。特徴的なのは、ハチクマのつがいが必ず別々のルートで長い渡りをすることです。ハチクマと作品がどう関わってくるのか、ぜひ注目してお読みいただきたいと思います。
オランダのグラフィックノベルについて
マンガの盛んな国であるフランスとベルギーに挟まれてなかなか目立ちませんが、オランダ語圏(オランダとベルギーのフランドル地方)にも素晴らしい作品を発表している作家がたくさんいます。国際的なマンガ賞を受賞する作家も輩出しています。もともとアートとデザインの伝統のあるオランダですが、マンガ界では小国です。マンガ家としてやっていくためには、国際的な成功を収める必要があります。そのため、初めから海外の出版社から英語やフランス語で作品が出版されるケースも多いのですが、実は作者はオランダ人だったということがあります。オランダの作家がもっと自国の出版社からオランダ語で作品を発表できるようになればいいなと思っています。
〈サウザンコミックスについて〉 サウザンコミックスは、世界のマンガを翻訳出版するサウザンブックス社のレーベル。北米のコミックス、フランス語圏のバンド・デシネを始め、アジア、アフリカ、南米、ヨーロッパ……と世界には魅力的なマンガがまだまだたくさんあります。このレーベルでは世界の豊かなマンガをどんどん出版していきます。
海外マンガ好きの皆さん、オランダにもすごい作家がいます!
発起人・翻訳:川野夏実(かわの・なつみ)より
海外マンガファンの皆さん、オランダ発のプロジェクトということでご興味を持ってくださった皆さん、こんにちは。オランダで暮らしながら、オランダのグラフィックノベルを日本で翻訳出版するために活動している川野夏実と申します。
オランダ語を勉強して翻訳家になりたいと思った学生時代、当時はオーソドックスに小説や児童文学、絵本などを探して出版社に持ち込むということを繰り返していました。しかし、出版不況のご時世で夢は夢のまま、あっという間に年月は過ぎ去っていきました。日々の仕事と子育てに追われ、翻訳家の夢にだいぶ埃がかぶっていた時、ある方から「グラフィックノベルを訳してみませんか」と声をかけてもらいました。その時は「えっ、グラフィックノベルって何?」と思いつつも、「やります!」と二つ返事し、ゴッホの生涯をテーマにした作品『ゴッホー最後の3年ー(花伝社)』で念願だった翻訳家デビューを果たすことができました。
これが私とオランダのグラフィックノベルの出会いです。他にはどんな作品があるのか、探して読んでいくうちに、すっかりグラフィックノベルの魅力に取り憑かれてしまいました。日本に是非紹介したいお気に入りの作品にいくつも出会うことができました。
ところが、「訳書が一冊あれば、それが名刺になって次の本が出せるよ」と聞いていたはずが、「どうも、そうじゃないぞ」ということが次第にわかってきました。出版不況に円安も重なって、翻訳出版を取り巻く状況は厳しさが増す一方。そもそも知名度のないオランダのマンガは、出版社からしても読者が見込めません。持ち込めど持ち込めど、ボツになって溜まっていく企画書。オランダには才能に満ちた個性的で素晴らしいマンガ作品がたくさんある。中国や韓国では翻訳出版されているのに、日本の読者に受け入れられないはずがない。このまま諦めたくないと覚悟を決め、今回、サウザンブックスさんの力を借りて、クラウドファンディングに挑戦することにしました。
オランダのマンガの凄さを日本の皆さんに知ってもらいたい。その代表として、今回、選んだのがエメー・デ・ヨングの『ハチクマが還るところ』です。はじめて読んだ時、決して長くない白黒マンガでありながら、まるで一本の重厚な映画を見せられたような読後感で、その情熱と技量に圧倒されました(そして、調べるとやはりオランダでテレビ映画化されていて納得)。彼女の他の作品もそうですが、エメーは一流の脚本、監督、カメラワークが一体となった仕事をひとり紙の上でしています。これから、ますます国際的に評価されていく作家になることでしょう。
輝かしい経歴を重ねて順風満帆に見える彼女ですが、マンガ弱国のオランダにおいてマンガ家という職業で食べていくことは大変です。SNSでエメーが「今日は教育文化省にマンガ家支援の嘆願書を持っていった」「マンガ家として生活しているなんてすごいね、と人からは言われるけど、実際の仕事はメールの返信が大半だ」などと発信しているのを見ると、私も彼女のいちファンとして、マンガ大国である日本への翻訳出版を通して、その活動を応援したい気持ちになります。