アントニオ猪木が最も苦戦したレスラー
雄牛との闘い、自分自身との闘い
1978年11月25日、ドイツでアントニオ猪木を迎え撃った男、ローランボック。それは「シュツットガルトの惨劇」と語り継がれるプロレスの枠を越えた死闘だった。
「……ボックが捻る角度をほんの少し変えるだけで、猪木の足は破壊される。猪木を潰して、アリと闘った男に完勝したという称号を手にしたい衝動にかられた。しかし、ルールを守れない男として軽蔑され、プロレスの世界から追放されるリスクも十分にある。
その時、ボックの目の前には、あの忌まわしい「墓掘り人」の姿が見えた。あの男なら必ず猪木の足をへし折っているはずだ……」
戦後ドイツにおける児童虐待、オリンピック出場、プロレス転向、映画俳優、有罪判決と服役、女性遍歴、起業家としての成功、王のような生活と愚かな判断による挫折。80歳を迎えてもなお立ち止まることがないローランボック、自分自身に正直にそして貪欲に生きた人生の記録。
プロレスファンで無くとも、彼の激しい生きざまに引き込まれていく、ローラン・ボックの長編バイオグラフィー。
著者は、自身も熱烈なプロレスファンで、体操選手キム・ブイのアスリート人生を描いた『45 Sekunden - KIM BUI』がシュピーゲル誌ベスト・セラーに選ばれたジャーナリスト、アンドレアス・マトレ(Andreas Matlé)。
「幻の最強レスラー」ボックの足跡を日本のプロレス史に残したい
発起人:沢田 智(さわだ・さとる)より
アントニオ猪木を極限まで追いこんで勝利した「ローラン・ボック」を私は1980年代に入ってから知りました。真の世界チャンピオンを決める新日本プロレスのIWGP構想に向け、プロレス中継で古舘アナがボックの話題に触れ、雑誌でも「まだ見ぬ強豪」として取り上げられるようになった頃です。
そして初来日。木村健吾戦、長州力戦の衝撃。一切妥協を許さないローラン・ボックの闘い。猪木との完全決着が待ち望まれながら、突然の引退。その後、ボックに関する情報は更新されることなく、最強幻想だけが生き続けました。ローラン・ボックについて、同じような感覚で決着のついていない「昭和プロレスファン」は多いのではないでしょうか?
2021年にドイツでローラン・ボック自伝が刊行されると、日本でも翻訳出版が期待されました。しかしその動きは無く時間ばかり経過する中、原書を購入してでも読みたいと思うに至りました。そもそも私はプロレスファンなので、1978年の欧州選手権ツアーの項目だけを読むつもりでしたが、最強の男に成長した経緯、なぜ突如引退し、その後はどう生きたのか、次から次へと興味が湧き、一気に読み進めました。
この本の感動を多くの人と共有したいと思い、ブログ等で紹介してきました。そして翻訳出版の可能性を探りましたが、ニッチな分野の本の出版については出版社は消極的です。そこで「クラウドファンディング」での出版を企画するに至りました。
「ローラン・ボックとは何か」を探している昭和プロレスファンの力で、「幻の最強レスラー」を再発見し、ボックの足跡を日本のプロレス史に残していきましょう。