別れた妻を思うニューヨークの建築科教授が
偶然たどり着いた町で新しい自分に変わっていく
アステリオス・ポリプはニューヨークの大学で教鞭をとりつつ、「ペーパー・アーキテクト(設計図だけの建築家)」として名を馳せた著名な(元)建築学教授。 彼は妻のハナと別れてからというもの、過去の幸せだった日々を振り返るだけの無気力な生活を送っている。 50才の誕生日を迎えた夜、彼が住む建物で大規模な火災が発生する。 彼は大慌てで思い出の品をいくつか手に取ると、ほうほうの体で自宅を飛び出す。 それは彼が過去を見つめ直し、人生をもう一度やり直すための第一歩だった̶̶。
二項対立に囚われたアステリオスの数奇な運命を語るのは、彼の死んだはずの双子の兄弟。 物語は建築・美術・音楽・演劇・文学・哲学などの要素を散りばめつつ、20世紀から21世紀へと向かうアメリカの歩みと共振し、公民権運動やベトナム戦争や9.11同時多発テロといった歴史的事件と邂逅する。
完成まで約10 年の歳月を費やし、出版後はアイズナー賞3部門とハーヴェイ賞3 部門を初め、多くの賞に輝いたアメリカ発のグラフィックノベルのひとつの頂点。世界のさまざまな言語に翻訳され、15年にもわたって日本語版が待望されていた傑作がここについに翻訳!
この作品では、ある男が50年の半生を振り返って別の人生のあり方を探求するという個人的なテーマの裏に、20世紀後半のアメリカの歩みが何を間違った結果9.11同時多発テロに至ったのかという壮大なテーマがパラレルで進行する。物語冒頭でアステリオスが住むアパートに雷が落ちて火災が発生するが、このアパートはツインタワーを模しており、さらに、黄色ベースで描かれる過去や夢の中の場面では何の説明もなく飛行機が小さく飛んでいることが多く、ツインタワーと飛行機のイメージが繰り返し登場する。20世紀後半のアメリカの歩みにおいて、経済格差は拡大し、環境は破壊され、マイノリティ民族は不満を持ち続けてきたのだと、アステリオスはアポジーの町の個性的な人々との出会いを通して気づかされる。ここにおいて、一人の男がこれまで見過ごしてきた事物との出会いを経て失った妻との関係をやり直せるかどうかというテーマは、アメリカが見過ごしてきたものを直視することによって「有りえたかもしれぬもう一つのアメリカ」を創出できるかというテーマと対を為すことになる。
『アステリオス・ポリプ』は、オルフェウス神話や『オデュッセイア』を下敷きにしたストーリーラインや、次々に登場する個性的なキャラクターたちも大きな魅力だが、グラフィックデザインもまた特筆すべき要素である。例えば、モダニズム建築(ガラス・鉄・コンクリートを用い、柔軟かつ洗練された機能美を持つ建築様式)をこよなく愛する主人公アステリオスの体は、モダニズム建築を体現するかのようなデザインで描かれ、その妻で、植物や生物をモチーフとして使用するアーティストのハナは、有機的で繊維質のデザインで描かれる。異なるキャラクターが異なる質感で描き分けられ、彼らが打ち解けたり喧嘩したりして関係性が変化する際に体の質感ごと変化していく描写は、グラフィックノベルならではの表現の可能性を存分に引き出している。
【グラフィックノベルについて】
グラフィックノベルという語の定義は常に変化し続けており、近年では単行本形式のコミックスを全般的にグラフィックノベルと呼ぶ用例もあるが、ジャン・ベテンズ (Jan Baetens) とヒューゴ・フレイ (Hugo Frey) による『グラフィックノベル入門 (The Graphic Novel: An Introduction)』(2015年、未邦訳)では、形式・内容・出版形態・プロダクションの4つの観点から説明を試みている。
形式面では、1945年頃から次第にアメリカで大人向けのコミックスがアンダーグラウンドな実験的コミックスやポップアートなどの要素を取り込んで進化を続け、1960年代後半から1970年代になると、それまでのコミックスの慣習からの逸脱を意識した作品が出てきた。実験的レイアウトが用いられ、語りの抽象性が増し、語り手の役割を意識的かつ効果的に用いる作品が登場した。内容面では、子供向けのスーパーヒーロー・コミックスとの差異化が図られ、ジャーナリズムや歴史記述を扱う作品や自伝的作品が出てきた。出版形態は、サイズやカバーやページ数や単行本形式などの点においてコミックスよりも小説の形態に近いが、シリーズ化されることも少なくないので一概には語れない。プロダクションについては、大手コミックス企業も重要な貢献を果たしているが、その勃興から小規模独立系出版社が大きな役割を担っており、現在ではシアトルのFantagraphicsやモントリオールのDrawn & Quarterlyがその代表例である。グラフィックノベル黎明期の代表作として言及されやすいのは、ウィル・アイズナーの『神との契約』(1978年)や、1980年代に「ビッグスリー(御三家)」として大きく評価されたアラン・ムーアの『ウォッチメン』、アート・スピーゲルマンの『マウス』、フランク・ミラーの『バットマン:ダークナイト・リターンズ』などであるが、そこから遡って、グラフィックノベル以前のグラフィックノベル的なものとして、1950年に「ピクチャーノベル」と銘打たれたドレイク&ウォーラーの『イット・ライムズ・ウィズ・ラスト』や、1920~30年代の「ウッドカットノベル」に言及されることもある。
ベテンズとフレイが整理した上記のグラフィックノベル史とは別に、21世紀に入ってから起こったグラフィックノベル・ブームがある。こちらの文脈については、夏目房之介『マンガ学への挑戦』(2004年)や小田切博『戦争はいかに「マンガ」を変えるか──アメリカンコミックスの変貌』(2007年)が論じるように、バラバラに存在していたアメリカのコミックスの境界領域が1980年代以降に流動的に混ざり合い、その結果として生じた中間的なコミックスをアメリカ社会の中間層が購入する市場が拡大したことを受けて用いられる呼称である。この場合は、子ども向けのコミックスであってもグラフィックノベルと呼ばれる。
長い歳月をかけて練り上げられた至高のグラフィックノベルが
より広く読まれるために
発起人:矢倉喬士より
『アステリオス・ポリプ』との出会いは10年以上前に遡る。大学院生としてアメリカ文学を研究する傍ら、将来的に英語文学の授業を受け持つことになったときにテキストとして使えそうな作品を探していたときのことだった。アート・スピーゲルマン、マルジャン・サトラピ、チャールズ・バーンズ、ジョー・サッコ、アリソン・ベクダル、クリス・ウェア、クレイグ・トンプソンらの作品を読み進めるなかで、群を抜いて強い感銘を受けたのがデイヴィッド・マッズケリ氏の作品だった。
まず面白いと感じたのは、キャラクターごとに物事の見方や人生観が異なるという内容を表現するにあたって、キャラクターを異なる色や質感で描き分けるのみならず、関係性の変化に応じてその質感が変化していくように描かれている点であった。キャラクターが仲良くなるにつれて、また、仲が悪くなるにつれて、キャラクターの色や質感が変化していく描写は新鮮で、人は理解し合えるかというテーマを扱うにも適している。さらに、概念を視覚化する試みも印象的だ。例えば、主人公アステリオスが作曲家のカルヴィンと出会う場面では、「ポリフォニー」や「不協和音」を可視化しようと試みており、グラフィックノベルの表現の豊かさを感じられる。
言葉の使い方にも、随分と趣向を凝らしてある。全てのキャラクターのセリフについて、吹き出しの形・字体・喋り方のクセが個別に考えられており、それらを使って物語に重要な展開が生まれることもある。「このセリフはこの字体で書かれているからあの人物の発言だな」とわかると面白みが増える場面もあり、そうした遊びや仕掛けが好きな読者にとって楽しい読書になるだろう。
そして、『アステリオス・ポリプ』は、一人で読むよりも複数人で読む方が面白い。この作品には、神話、建築学、文学、美術、哲学、歴史、音楽、宗教など、様々な分野の情報がふんだんに盛り込まれており、異なる人生を送ってきた人々が集まって意見を交換しながら読むと、よりいっそう理解を深めることができる。実際、これまでに異なる分野の知識を持つ人々と読書会を開催してみると、その度に思いもよらない発見があった。異なる人々による相互理解は可能かと問うこのグラフィックノベル自体が、読者たちの相互理解の受け皿になり、まるで複数の人生が集う待合室を訪れるような経験を与えてくれるのだ。
数々の賞を受け、グラフィックノベル史に燦然と輝く傑作としての評価を受けながらも、『アステリオス・ポリプ』は主に印刷費の高さがネックとなって邦訳が出ないまま13年の月日が流れた。クラウドファンディングという形式でなければ出版の見込みは薄いだろう。面白く、価値があるにもかかわらず、何らかの理由で出版されなかった書籍を出版してきたサウザンブックスのクラウドファンディングを通して、稀代の名作『アステリオス・ポリプ』を日本語でも読めるようにするために、皆さまのご協力をよろしくお願いします。
〈サウザンコミックスについて〉
サウザンコミックスは、世界のマンガを翻訳出版するサウザンブックス社のレーベル。北米のコミックス、フランス語圏のバンド・デシネを始め、アジア、アフリカ、南米、ヨーロッパ……と世界には魅力的なマンガがまだまだたくさんあります。このレーベルでは世界の豊かなマンガをどんどん出版していきます。