著:ジュリア・セラーノ(Julia Serano)
ジュリア・セラーノは、米国カリフォルニア州オークランド在住の女性ライター、パフォーマー、アクティビスト、そして生物学者である。著書に、Excluded: Making Feminist and Queer Movements More Inclusive(2013年度レズビアン・ノンフィクション・ジュディ・グラーン賞ファイナリスト)とOutspoken: A Decade of Transgender Activism and Trans Feminismなどがある。また、ジュリアの作品は各種アンソロジーに収められているほか、The Guardian、The Advocate、The Daily Beast、Bitch、AlterNet、Out、Msなどの雑誌や報道機関にも寄稿しており、彼女の著作は北米各地の大学で、クィア/ジェンダー・スタディーズ、社会学、心理学、ヒューマン・セクシュアリティ等の授業用教材として使われている。ジュリアは科学者としてコロンビア大学から生化学の博士号を授与され、カリフォルニア大学バークレー校で17年間、遺伝子学と進化発生生物学の分野で研究員として勤務した経験がある。
公式サイト:
https://www.juliaserano.com/
訳:矢部 文(やべ・あや)
翻訳家・教育コンサルタント。女性パートナーと結婚したレズビアンの娘を持つ母という立場で、米国のアジア系クィア/トランスコミュニティの団体(Okaeri LA、API Rainbow Parents of PFLAG NYC、NQAPIA)の社会変容活動に参加。日本人を含むアジア系性的マイノリティとその家族の可視化を通して家族の固定観念を覆すため、ワークショップや講演などの活動に携わっている。訳書に『ピア・サポート実践マニュアル』(共訳、川島書店)『世界のいじめ:各国の現状と取り組み』(共訳、金子書房)、『コンピュータユーザのための健康サバイバルガイド』(オライリージャパン)などがある。ニューヨーク在住。
トランスジェンダー・アクティビズムとフェミニズム
両者が共闘するべき理由がある
ヨーロッパ近世において王子が受けるべきむち打ちを受ける役の少年のことをウィッピング・ボーイと言った。現代ではスケープゴートの意味で使われる。トランスジェンダーの女性には同じことが起こっていると訴えるという著者は、女性嫌悪(ミソジニー)の表出として、女性性を表現するMTFのトランスジェンダーの女性がスケープゴート化されていると指摘する。
トランスフォビアやトランス差別と、女性差別の問題の根っこは同じだ・トランスジェンダー・アクティビストの著者が、トランスジェンダーの女性をウィッピングし続けるメディア、アカデミズム、作家、医療体制、社会、えせフェミニズムを徹底追及した怒涛の20章がついに邦訳。
【目次】
トランスの女性のマニフェスト
【第一部】トランス/ジェンダー理論
第一章:トランスジェンダーとトランスセクシュアルに関する概念 ─ひとまずこれが用語集
第二章:女の尻を追う奴ら ─メディアはなぜトランス革命を口紅とハイヒールで表現するのか
第三章:ビフォー・アフター ─階級と身体の変容
第四章:ボーイガズムとガールガズム ─ホルモンとジェンダー差異に関するざっくばらんな話
第五章:死角 ─潜在意識下のセックスとジェンダー特権意識
第六章:内在的傾向とは ─ジェンダーとセックスの多様性を解説する
第七章:病的科学 ─トランスジェンダーに関する性科学・社会学モデルの誤りを暴く
第八章:シスセクシュアル特権を解体する
第九章:創作と学問の世界におけるアンジェンダリング
【第二部】トランスの女性、女性性、そしてフェミニズム
第十章:体験的ジェンダー
第十一章:脱構築的手術
第十二章:他人のための悪あがき ─伝統的セクシズムとトランスの女性排除方針
第十三章:自己欺瞞
第十四章:セクシュアル化されるトランスの人たち
第十五章:従順さの条痕
第十六章:愛について叫ぶ
第十七章:クロスドレッシング ─女性性の神秘性を取り除き、「男性特権」を再考する
第十八章:アクセサリー・マニフェスト
第十九章:フェミニンなことをフェミニズムに取り戻せ
第二十章:クィア/トランス・アクティビズムの未来
女性嫌悪、トランスフォビア
今、必要な言葉がここにある。
発起人:ウィッピング応援チーム代表 遠藤まめたより
米国在住の友人が帰国した際、おみやげに渡されたのが「ウィッピング・ガール」でした。トランス男性に対しては向けられない嫌悪が、どうしてトランス女性にはむけられるのか。学校では女子のスラックス制服導入は進むのに、男子のスカート着用には消極的な先生が多いのはなぜ。LGBTコミュニティでも、トランス女性はお断りの女性向けイベントが、なぜかトランス男性には参加の門戸をひろげているところがある。長年気になっていた非対称性について、すべて解き明かしているのがジュリア・セラーノだった。
昨今、SNSなどを中心にトランス女性に対するバッシングがひろまっている。トランス女性に対する攻撃は、単なるトランスフォビアではなく、もう少し根が深いものだ。攻撃をしている人たちの中には、フェミニストを自称している人たちもいるが、彼女たちの様子をみていると「自分は女性であることでこんなに苦しんでいるのに、男性として生まれた人間が自分は女性であると捉え、そのように生きようとするなんて信じられない」という、自身の人生に対する苦しみを根強く抱えている人が多いようだ。
仲間たちと読書会をかさねて、英語の本なのに最後まで夢中で読んでしまった。そして、女性嫌悪的な社会だからこそ、女性嫌悪に苦しむ女性が、トランス女性を攻撃しているのだと確信するようになった。トランス排除言説を目にする機会が増えた現在の日本に必要な言葉がここにある。本書は、トランスフォビアだけではなく女性嫌悪が克服されるためにもなくてはならないエッセイだ。