黒人音楽とメキシコ伝統音楽の狭間で密かに生まれた至宝の音楽文化、チカーノ・ソウル。ロサンゼルスのメキシコ系居住区=バリオで育ったヴァイナル・ディガーのチカーノ、ルーベン・モリーナ氏は、アメリカ南西部を廻り、今まで広く知られることなく残されていたチカーノの甘いR&Bを次々と発掘。ルーツである40年代のパチューコ音楽から70年代公民権運動を背景に登場したラテン・ロックまで、その膨大な鉱脈を紹介する入魂の音楽ガイドブック。
当時の貴重なジャケット/アーティスト写真など多数掲載。全カラーページによる初版ハードカバーを翻訳・復刻。
「ここの豊穣な音楽形式は、ニューメキシコ州アルバカーキ、アリゾナ州フェニックス、テキサス州サンアントニオ、カリフォルニア州ロサンゼルス大都市圏、そしてアメリカ南西部の諸々の都市部にあるメキシコ系アメリカ人たちのバリオで開花した。そのルーツは、都市における黒人音楽に対するチカーノたちの熱き情熱にある。しかし、60年代前半から中盤に南西部から登場したチカーノ・バンドたちが受けた影響は実に多岐にわたっていた。チカーノ・ソウルの誕生と発展は多彩なジャンルの音楽に晒さらされた若い演奏家によって生み出されてきたが、そのハイブリッドな文化的状況、即ち二重にもつ社会的かつ文化的自己証明がチカーノたちの音楽表現に唯一無二の特徴を与えたのだ。」
「はじめに」より
目次&主に登場するアーティストなど
1. ビートに乗っかれ 初期影響とパイオニアたち
ラロ・ゲレーロ、チャック・ヒギンズ、ジャガーズ、リトル・ジュリアン・エレーラ、チャック・リオ、リッチー・ヴァレンス、リリックス、ロイヤル・ジェスターズ、フレディ・フェンダー、サングロウズ
2. サムシング・ガット・ア・ホールド・オン・ミー サンアントニオ
ウエストサイド・サウンド、ルディ&ザ・リノ・バップス、ソニー・エース、ジョー・ブラボー、サニー&ザ・サンライナーズ、ディマスⅢ、ダニー&ザ・ドリーマーズ、リトル・ジュニア・ジェシ&ザ・ティア・ドロップス
3. シェイク・シャウト&ソウル 南カリフォルニア
ロージー、ペレス・ブラザーズ、クリス・モンテス、ロマンサーズ、ブレンデルズ、カニバル&ザ・ヘッドハンターズ、ジ・ミッドナイターズ、リトル・レイ&ザ・プログレッションズ、プレミアーズ、エル・チカーノ
4. クレイジー・クレイジー・ベイビーテキサス・ソウル
ジュニア & ザ・スターライツ、ラテングロウズ、リトル・ジョー&ザ・ラティネアーズ、アウグスティン・ラミーレス、アルフォンソ・ラモス、ロス・ディノス、クエスチョンマーク&ザ・ミステリアンズ、サム・ザ・シャム&ザ・ファラオス、ジャ
イヴズ、ロッキー・ギル&ザ・ビショップス
5. ソウル・サイド・オブ・ザ・ストリート フェニックスとアルバカーキ
フレディ・チャベス、アル・ハリケーン
6. 私はチカーノ ブラウン・プライド
ヴィレッジ・カラーズ、リトル・ウィリー・G、リトル・ジョー・イ・ラ・ファミリア、ジョニー・チンガス、マコンド、ティエラ
ルーベン・モリーナ氏は、バリオが生んだ偉大なる音楽文化人類学者です。ロサンゼルスという多様な文化が重層する大都市に広がるメキシコ系アメリカ人が暮らす地域=バリオを舞台に、ローライダー、仲間、ストリートという関係軸のなかで、音楽を愛してきた一人のチカーノです。書き手がハードコアな音楽ディガーであり、同時にストリートの事情通=ベテラーノであるという事実こそが、なによりこの本の絶対的な価値を生み出しています。
ルーベンは自らの出版社、ミクトラン(アステカ文明の神話から)を立ち上げて2002年『The Old Barrio Guide To Low Rider Music 1950-1975』を記していますが、主に黒人演奏家グループを中心に、ロサンゼルスやテキサスのある程度知られたチカーノ・グループも紹介したユニークなアーティスト・ガイドブックになっています。
ルーベン・モリーナ氏
私がルーベンにコンタクトをとったのは、その本を仕入れるためでした。日本からの問い合わせに、とても親切に対応してくれたのをよく憶えています。その数か月後、ロサンゼルスに滞在中、「BBQに招待するから来るように」と誘い受けたのです。向かったのは、チャイナタウンの北側、LAリヴァーに面した「フロッグタウン」でした。昔、川岸にはカエルが沢山いたらしく、その風情がそのままローカル・フッドの名前になっていった小さなバリオです。青春時代をそこで過ごしたルーベンと共に陽光降り注ぐロサンゼルスの午後、いぶし銀のローライダーに囲まれながらメキシカン・スタイルのBBQをちょっと緊張しながら楽しんだのですが、もちろんバックには、珠玉のR&B~オールディーズが流れていました。ローライダーの合言葉は”LOW & SLOW”ですが、貧困や暴力に晒されてきたバリオの住人たちは、全員ではありませんが、音楽においてもクルマにおいても、こうしたゆったりとしたメロウな世界観を伝統として大切にしています。
70年代、フロッグ・タウンで撮影されたルーベン氏と仲間たちのローライダー
その後、雑誌『ローライダー・マガジン・ジャパン』の記事執筆の為に有名なカークラブを紹介してもらったり、ルーベン自身へのインタビュー取材をお願いしたりするなかで、彼はチカーノ・バリオの深い世界を何度も教示してくれたのです。また、テキサス・サンアントニオで往時のスターたちが演奏するからと連絡をくれて、本書の取材も兼ねた彼の旅行に少しばかり同行させてもらったこともありました。そうしたルーベンの熱心な調査は、テキサスからアリゾナ、ニュー・メキシコなどにも及んでいったのです。当時の演奏家や関係者を探し当てては話を聞きに行く、さらに彼らのとの話のなかで初めて聞いた演奏者に会いにいく。存在さえ知らなかった驚きの音源とも出会いながら、チカーノ・バリオのなかの小さなブロックで起きた小さな音楽のトピックスを繋いでいった結果、当時のチカーノたち自身も掌握し得なかった豊穣な音楽シーンを発見していったのです。ルーベンはそれを「チカーノ・ソウル」と呼ぶことにしました。
「チカーノ・ソウル」とは、「はじめに」にあるように唯一無二の生い立ちをもつ音楽スタイルを指してはいるのですが、それだけではありません。多様な文化に晒されながら、農民運動から始まったチカーノ公民権運動の体験など、自身のアイデンティを希求してきた、彼らメキシコ系アメリカ人固有のレガシーのことも意味しています。さらに、チカーノたちと音楽の関係についても示唆していると考えます。甘いメロディと美しいハーモニーは、時にバリオの重い空気の裏返しでもあるのです。そこには政治性を帯びた複雑な物語が通低音のように響いています。一筋縄ではいなかいチカーノ音楽の魅力はまさにそこなのです。誰が誰に向けて演奏しているのか、という関係性です。
21世紀に入って加速するテクノロジーの発達は、音楽という文化を大きな混乱に陥れているように思えます。粉飾に満ちた演奏と過剰なストーリーに演出されたデータだけが目まぐるしく消費され続けている現在の音楽マーケットは、正気の沙汰ではありません。
バリオを舞台にした音楽と聴き手の物語である本書『チカーノ・ソウル』は、音楽の普遍的な価値を伝えています。今、カリフォルニアを中心に若いチカーノたちの間で起きているヴィンテージの甘いサウンドのリヴァイバルの背景には、現在の音楽シーンからほぼ消滅してしまったストリートやローカルの匂いをぷんぷんと感じさせていた当時の生々しいR&Bへの憧憬があるのです。その人気は、ヨーロッパや日本にも飛び火しています。本書に記された、アメリカ音楽の知られざる側面として連綿と続いて来た音楽シーンの事実、またこれからさらに大きな勢力となるチカーノたちの文化を伝えることが今回のプロジェクトの主旨です。が、もうひとつ。ここに綴られた貴重な物語を通じて、「音楽とは何か」を熟考する機会を沢山の人とシェア出来ればという願いも込めております。
2007年頃、ルーベン氏と宮田。自宅にて